「舎主の独り言」の記事一覧
開聞岳♪
本当だったら今日は、父の67歳の誕生日でした。
当たり前のことが当たり前でなくなる事の不自然さを感じています。
今日は、追悼の意味を込めてアップすることをお許しください。
義父が漁師なので船に乗せてもらいました。
父の遺影をもっている娘が赤ちゃんの時、同じように船に乗せてもらったのを思い出します。
祖父の御墓にもお参りが出来ましたし、親戚の皆さんにもお会いできて幸せでした。
また、父と一緒にこの景色を見に訪れたいなぁと思いました。
久しぶりの鹿児島♪
なかなかブログをアップできなくて申し訳ありませんでした。
妻の祖父が亡くなったので、久しぶりに鹿児島の佐多岬へ
まずは桜島が迎えてくれました。
子どもたちは、11月だというのに水浴び&砂遊びに夢中です。
初めて子どもが産まれた十二年前に、娘を妻の祖父母にみせに行った時は、両親も一緒でした。
手術が無事終わり、元気になったら絶対に行きたいと言っていた父の思いと一緒に
開聞岳をバックに嬉しそうです。
その夜、父が亡くなってからはじめて久しぶりに父の声を聴きました。
「ありがとうなぁ。たかひと」って言ってくれました。とてもリアルだったので驚きましたが、
父の死後、バタバタとした半年を経過して、やっとゆっくりと父と向き合えたような気がしました。
たぶん、父も一緒に鹿児島に来ているのだと思いました。
一歳になった一番下の娘も面白く元気に育っています。
一歳になった娘を父にもみてもらいたかったです。
舎主より御礼♪
5月30日 午前9:35、社長である父が家族に見守られながら安らかに眠りにつきました。
多くの皆様に見送っていただけたましたこと、そして愛していただけましたことを心より御礼申し上げます。
父の愛したこの寛ぎの舎 游 を残された私たち従業員一同力を合わせてまもってまいります。
何卒これからもご愛顧賜りますよう心よりお願い申し上げます。
60歳を迎えた頃から体調を崩し、肝臓癌がみつかりましたが、
重度の肝硬変でしたので、切り取ることができず癌を焼いて治す治療を施しておりました。
昨年秋にこのままでは、一年の余命と言われ、治すには肝臓移植手術しか道はないと言われました。
死ぬのを待つか、生きるために挑戦をするのかを考えて、いっさい後悔をしないと言う強い決意のもと
今年の3月22日に私の肝臓の40%を移植した肝臓移植手術をさせていただきました。
金沢大学付属病院の皆様には、本当に誠心誠意ご尽力いただけましたことを家族一同心より感謝しております。
私と父、そして家族もさらに強い絆で結ばれることができた気が致します。
生きることの大切さと強い意志を身を持って、私たち家族、孫に教えてくれました。
父は一人っ子で兄弟がいないため、いろんな団体に所属させていただき、そこで大好きなお兄ちゃん、
お姉ちゃん、弟、妹と出会えたことをとても喜んでおりました。
『人は財産』というのが口癖の父でした。
昨年は、国体が開催された際に駄目だと言われていたのに家族に内緒で大好きな手筒花火を上げていたりと、
いつも言うことをきかない自由な人でした。
集中治療室で食事もあまりとれなくなった時には、「悦子(母)の愛で生きているから大丈夫だ」と
珍しくかわいいことも言っておりました。父も頑張りましたが母も本当に良く頑張ったと思います。
息子の私から見ても良い、お似合いの夫婦であったと思います。
祭壇は生前父がデザインしていたものをそのまま再現させていただきました。
最後の最後まで自分で仕切りたい父らしいと思います。
高山が大好きで、人が大好きだった父が、生前お別れのことばを遺しておりましたので紹介いたします。
『お別れの言葉』
生かされ、守られ、育てていただいた私の人生でした。
呉服屋の四代目という職を継ぐべき身でありながら、色んな仕事に携わらせていただき、
妻に言わせれば貴方は好きなことをやり満足でしょう・・・。と
その好き勝手にやらせて頂いた背景には父、母、妻をはじめ家族の温かい理解と支援なしには
何もなし得なかったのが事実だろう。
その過程では困った存在であり、多分に皆様に迷惑をかけていたことを痛感しています。
高山の町はとても良い町です。何処を旅行しても帰ってくるとこの町の生まれ、
この町で一生を終えることを有り難く思いました。
今まで好き勝手な人生を送らせていただき本当に有難うございました。
皆様のご厚情に感謝、御礼申し上げ私どもの家族にも同様の御支援賜わりますようお願い申し上げます。
舎主だより♪
皆様には何かとご心配をおかけしておりましたが、
術後16日が経過した本日、点滴やお腹の管も抜けてシャワーを浴びられるほどに回復いたしました。
まだ、体力が落ちておりますのでしばらく入院生活を送りますが、中旬には
退院できる模様です。
ICUに入っていた時は私はほとんど覚えてい無かったので、妻が記録を残してくれていました。
それがこちらです↓
●手術日(3/22)
たかひと君(私)のオペ終わってから担当医師に呼ばれ説明を受けました 。
オペはアブちゃん(社長)の門脈を通す手探りの作業やそのバイパス手術に時間がかかり2時間くらい胸を開けて待ってたそうです。
胆石が幾つかあって写真で見せて頂きました。
オペ直後のICUでのあなたはお帰りなさいと言った私と握手して手をずっと握ってました。
差し出した手の力は思ったより強くて でも痛みで投げ出す様に放したり 苦悶の表情で痛がって気持ち悪いと痰を吐き出したり術後の発熱から暑がって酸素マスクやその他の管を外そうとしていました。 氷枕を入れて貰いました。
右肩を特に痛いと言って湿布を貼ってもらったり唇や喉が渇くのでうがいをさせてもらったり話せるのは短い一言だけで でもはっきりと伝える事が出来てました。
見ていられない程苦しんでましたが、帰る私たちに「あんの〈二女)によろしく」と言った様に思います。
「11時半だよ」と言うと遅れたんだなと朦朧とした意識の中驚いてました。
ICU2日目にタカヒト君は壁のある個室に移動しました。 酸素のマスクを鼻へのチューブに交換してもらってて 吐き気や痰を吐くのも収まってきて少し楽になった感じで良かった。
退屈なのでへッドホンでTVを見られる様にして頂いて 足のマッサージ機と全身のスパゲティは相変わらずだったけれど顔のむくみが取れてて 肌の色も土色から薄くなってきてお話も少し話せる様になって安心しました。
オペ直後に比べて格段に良くなって 見ていられない状態ではなくなっていました。
面白いなと思ったのが 血圧の機械を左手にがっつりコルセットの様に付けてて右手も傷も痛くて本を持てないと思うのに荷物のリクエストに「ホン」があった事です。 読めないんじゃないかなと思い「どうやって読むの?」
って聞いちゃったけど好きなモノに囲まれてると安心するのはよくわかるから夕方持って行ったら 数冊選んで 「◯◯さんの本が良かった」と言われました こちらも選んでる場合じゃなかったのでゴメンね(・∀・)
若干「わからねぇ」と心で思ってたり(笑)
アブちゃん(社長)のオペが35時間の難手術になり時間もかかって タカヒト君はうちから見たらとても痛々しくて なのに 父のオペの結果をしきりに気にしてました>_<
夜の面会時間にICUに行った時に お部屋に先生が来られて面談室で写真を交えつつオペの結果や再手術の説明を受けました。 アブちゃんの肝臓は13cm程しかなくて 焼け焦げたメロンパンの様に萎縮してました。 癌も横隔膜に浸潤していて横隔膜ごと取り除いて貰い 、60リットルも輸血して大人が全身の血液を6回全て入れ替えた感じらしいです。 腎臓も慢性腎不全で術後に必要な機能を補う為に装置をつける処置が残ってて今からやりますとか(この時点で夜の7時) 隣でえっちゃん(女将)が先生の説明を頷きながら聞いてました。 ドナーの方は全く問題が無く2週間~3週間で退院でしょうとの事でした。 説明は難しくて でも大まかに理解できました またお呼びたてしますと言われ 一階の待機室で待っていたら処置が終わり10時前に呼ばれ 南のICUに行きました あんのは入れないのでかんの様と交代でアブちゃんを見られました。
麻酔で眠らされていて人工呼吸器をつけ 空気の入った大きな緩衝材が左右に並べられていてマグロを運ぶみたいな印象でした。 そんな姿だったけど「生きてるな」と感じてほんの少し安心したし 説明して下さる先生も出来る限り頑張ってくれたのが伝わってきました。 担当の先生がしきりに(思う様にならず)申し訳ないと仰って恐縮したのと 飲まず食わずの36時間を感謝しました。 すると「これが仕事なんで」と疲労感も滲ませながら仰いました。 オペ中に このまま死んじゃうんじゃないかなと思った危ない時が2回あったと率直に教えて下さいました。 胆管が繋げられず体外に出す管を出した事と4回やってダメだった(肝動脈か門脈の接合や門脈からの血流の事だと思います)のは初めてだった事!
それでも患者さんの体力があったから今生きてる。 そしてお家に帰られて社会復帰する為にはもう一度の手術が必要な事が必須である事を話してくれました。 先生の口から社会復帰という言葉が出て心強く思いました♪
タカヒト君は痛みと熱と格闘してました 。私にポツンとゴメンと言って謝ってました。
今度は早く回復して安心させてくれるのが仕事だよ。 タカヒト君が生きて戻って来れて本当に良かった >_<
泣きたいけど泣けない程心配したから
タカヒト君の肝臓頑張れ!
●二日目
ICUで歩行が始まりましたね\(^o^)/
点滴の下に体液系統が下がってるんだけど体内で生成された尿に色が付いてきて 内蔵が元気に働いている事が分かりました。 お水も口に300制限だけど含める様になってて 神戸にいた時の透析の患者さんを思い出しました。 切断面からの出血も収まっている様に見えました。
たかひと君はイヤがるだろうから話は選ばなきゃならないのですけど 久しぶりに笑顔も少し出て密かに喜んでました(°_°)
まぁ帝王切開3回分の印象を受けて 大丈夫だなとまた少し安心したし 夫婦だからか自分まで何故か痛くて帰りの車で傷も痛みも色々全部可哀想だって泣きました(←大雑把) 特にえっちゃんは直後動揺してたので 帰らなければいけない日だったのでかんのちゃんを残し あんのと荷物と面会がグルグルしてて 十分に色々してあげる事は出来ないから悔やまれました。 ゴメンね(つД`)ノ
この数日間はあんのの無垢な笑顔に癒されました。 早く会えるといいな ( *´艸`)
先ずは自分を治してからという順番でお願いします。
社長も順調に回復をしていますのでご安心ください。
この肝臓移植手術で多くのことを学びしましたし、多くの方に感謝しました。
当たり前のことがこんなに幸せなのだということを感じました。
この感謝を多くの皆様にお返し出来るように努力していく所存です♪
舎主だより♪
肝臓移植手術後一週間が経過しやっとパソコンにむかえるまで回復しましたので
皆様に御礼と御報告をしたいと思います。
写真は手術日当日の孫全員との集合写真です♪
3月22日朝8:30に私も父も手術に入りました。
結果的に手術が終わったのは、私で13時間後、父にいたっては35時間にも及ぶこの病院始まって以来の
最長手術時間を記録する手術となってしまいました。
正直、父は何度かやばかったようですが何とか踏ん張ってくれました。
父は、社長は、本当に強いです。
そして、何より感動しましたのは、医師の先生方の使命感の高さです。
なんとしてでも治すという強い思い、使命感を強く感じました。
私は四日間、ICU(集中治療室)に入りやっと一般病棟に戻してもらいました。
ICUはいるところではありませんね。こんな正常な僕でもおかしくなりそうになりましたから・・・・・
父はそんなおかしくなるところに一ヶ月も入っていないといけませんので、辛抱です。
術後意識朦朧の中まず叫んだ事、『俺の肝臓頑張れ~!おやじ頑張れ~!』です。
もうこんな辛いのは経験したくありませんが、また少し父親と近づけた気がしました。
そして、やっぱり父親のことが大好きなんだなぁと再認識することができました♪
手術に向かうまで、病室でこうすればお客様は喜んでいただけるのではないか?
飛騨高山のまちがこうなれば、良くなるんじゃないかとずっと考えていた父親は、本当にまだまだやりたいことが
あるようです。そして、多くの方に御恩返しができていないとつぶやいていました。
これだけの強い意志を持った父親ですので、何とか乗り越えてくれると家族一同確信しております。
私事で多くの方にご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません。
でも、皆様の御言葉行動にはとてもとても支えられました。感謝申し上げます。
私の退院は、4月中旬になりそうですが、術後が大事みたいなので肝臓がしっかりと育つまでは
少しマイペースにゆっくりとやっていこうと思っています。(そんなことが出来るのか?疑問ですが・・・)
また、戻って皆様とお会いできることをとても楽しみにしております。
最後に、おならができるだけで本当に幸せということを皆様にお伝えして御礼とご報告と
させていただきます♪
舎主だより
久しぶりに舎主だよりです♪
リピーターのお客様にはお話をしたこともありますが、6年前から社長(父)の体調が悪く、
いろいろと治療をして入退院を繰り返してまいりました。
末期の肝硬変に加え、肝臓がんもあり昨年末より肝臓移植を考えてきました。
ようやく今月下旬に肝臓移植手術をすることができるようになりました!
私の肝臓を移植します。
私の肝臓が親子で似ているのか? 脂肪肝ということでダイエットと食事療法、入院をし体調管理を
することで何とかOKがでました。申し訳ない限りです。普段の不摂生を後悔しました。
今月に入ってやっとドナーとして立候補することが出来ました。少しホッとしました。
これまで、私自身もいろんな検査を受けてきました。胃カメラ、直腸検査、CT,MRI、血液検査、そして肝生検などなど。
写真は、肝臓の機能を検査するのですが、ヨード?の入った緑色の液を注入しています。
肝生検(肝臓生体検査)は、実際に肝臓の細胞を検査するので、検査に三日間かかります。
麻酔を打って細胞を取って、四時間身動きが取れず一日安静といった感じです。
なかなかないようですが、私はこれを三回やりました。
肝臓移植がなかなか大変なのは、ドナーも時間をとられますし検査も大変なところにあるのかもしれません。
父は、もちろんもっと大変です。年末からずっと入院していますから。
最初、入院すれば休めるなぁなんて考えていたのですが、二日で十分ですね。
私自身もすでに20日間入院しています・・・・・・手術まで少しでも肝臓の状態を良い状態にするためです。
健康でいられることは何よりも幸せです。自由に動けること、働けることの幸せを、できなくなって改めて感じました。
家族がいること、普段当たり前だと思う事がとても幸せなのだと勉強になりました。
手術は、私の肝臓の左葉部の35.8%を移植することになりました。
私の肝臓が大きいので、35.8%でも650gあるので大丈夫とのことでした。
肝臓は再生能力が大きいので、三ヶ月もすれば機能も大きさも元通りになるとのことでした。
移植がゴールではなく、移植がスタートだとお医者様は叱咤激励して下さいます。
手術自体も私が10時間弱、父は20時間以上とかかるようですが、移植した後がさらに大変です。
私は2週間弱で退院できますが、父はそれから最低でも二カ月は、戦わなければなりません。
しかし、父は必ず打ち勝って元気になってくれるものと信じています。
実際に、自分がこういった立場になって思う事は、あげる立場のドナーよりもやはりもらう立場の人の方が
はるかに大変だという事です。たぶん、健康な息子の腹に傷をつくってまでも生きることはどうなんだろうとか、
もしこの手術によって息子にも何かあったらなど、父も悩んだことと思います。
私は父として一人の人間としてまだまだ死ぬには早い、もっと生きてまだまだやりたいことをやって欲しいと思うので、
もし私の肝臓がOKならば手術をしようと父に話をしました。
こうして移植できることを私は心から有難いと思っています。
これからがスタートです。かならず私も父も元気になります。
本当に私的なことで多くの方にご迷惑をおかけしております。
誠に申し訳ありません。
私自身、今回時間をいただけたことで、いろんなことに気づくことができていると思います。
多くの方の支えがある事に感謝です。
金沢大学付属病院にて
子供たちの熱意に多くのことを学びました ♪
以前ご紹介した【子供起業体験セミナー】も8月7日で四日間の課程を無事終了しました
実際に我楽多市の場所をお借りして、販売をしたのですが、
完売するという子供たちの姿勢と熱意は、見習うべきものがあり、感度と一緒に反省もしました
起業ということで、改めて私自身会社の在り方などを学んだ気がします
農業、食品加工、観光名産、木工に分かれて会社をつくり販売しました
この事業の様子は、下記ブログで紹介しておりますので、是非ご覧ください
http://kigyousemi2011.hida-ch.com/
初登校 ♪
私の息子も春から新一年生となりました
自分の身体よりも大きなランドセルを背負って、初登校です
ちゃんと登校できるのか心配でしたが、途中挫折しそうになると
一緒に登校する長女や近所のお姉さん、お兄さんに励まされながら
何とか登校できたようです
学校までは、約3キロから4キロの道のり、子供にとってはけっこうな距離です
毎日の通学で身体も鍛えられることと思います
先行きの見えにくい世の中ですが、この子供たちの未来のためにも
明るく元気な日本を創造したいものです
俳句を習い始めました ♪
同年代が9人集まって俳句を習い始めました
先生は、なんと祖父です
あまりにも身近過ぎてなかなか習うことができなかったのですが、
先輩がやろうとおっしゃって会をつくっていただけおかげで、
はじめることができるようになりました
まずは、俳句の基本を教えていただき来月までに六句俳句をつくってきなさいと宿題を出されました
俳句の世界の四季は、二月から四月が春、五月から七月までが夏、
八月から十月までが秋、十一月から一月までが冬だそうで、これから
歳時記片手に季語を覚えていきたいと思います
恥ずかしいですが、完成したら一句詠みたいと思いますのでお楽しみに
笑顔!!
赤ちゃんや子供たちの笑顔は、本当に癒されますね
久しぶりに嫁の実家のある兵庫県加古川に帰省してきました
義妹夫婦の子どもが1歳4カ月になっており可愛くておじバカになっておりました
当館にも多くのお子様連れのお客様がお越しいただきますが、どのお子様も本当に
可愛らしくて、その笑顔を見せていただけるだけで癒されます
子ども達は、本当に宝だと思います
少しでもこれからの将来、日本が住みやすく夢の見られる国となってくれることを願ってやみません
そのためにも今を生きる私たちが頑張らないといけないと、子ども達の笑顔を見て感じた新年でした