舎主より御礼♪
5月30日 午前9:35、社長である父が家族に見守られながら安らかに眠りにつきました。
多くの皆様に見送っていただけたましたこと、そして愛していただけましたことを心より御礼申し上げます。
父の愛したこの寛ぎの舎 游 を残された私たち従業員一同力を合わせてまもってまいります。
何卒これからもご愛顧賜りますよう心よりお願い申し上げます。
60歳を迎えた頃から体調を崩し、肝臓癌がみつかりましたが、
重度の肝硬変でしたので、切り取ることができず癌を焼いて治す治療を施しておりました。
昨年秋にこのままでは、一年の余命と言われ、治すには肝臓移植手術しか道はないと言われました。
死ぬのを待つか、生きるために挑戦をするのかを考えて、いっさい後悔をしないと言う強い決意のもと
今年の3月22日に私の肝臓の40%を移植した肝臓移植手術をさせていただきました。
金沢大学付属病院の皆様には、本当に誠心誠意ご尽力いただけましたことを家族一同心より感謝しております。
私と父、そして家族もさらに強い絆で結ばれることができた気が致します。
生きることの大切さと強い意志を身を持って、私たち家族、孫に教えてくれました。
父は一人っ子で兄弟がいないため、いろんな団体に所属させていただき、そこで大好きなお兄ちゃん、
お姉ちゃん、弟、妹と出会えたことをとても喜んでおりました。
『人は財産』というのが口癖の父でした。
昨年は、国体が開催された際に駄目だと言われていたのに家族に内緒で大好きな手筒花火を上げていたりと、
いつも言うことをきかない自由な人でした。
集中治療室で食事もあまりとれなくなった時には、「悦子(母)の愛で生きているから大丈夫だ」と
珍しくかわいいことも言っておりました。父も頑張りましたが母も本当に良く頑張ったと思います。
息子の私から見ても良い、お似合いの夫婦であったと思います。
祭壇は生前父がデザインしていたものをそのまま再現させていただきました。
最後の最後まで自分で仕切りたい父らしいと思います。
高山が大好きで、人が大好きだった父が、生前お別れのことばを遺しておりましたので紹介いたします。
『お別れの言葉』
生かされ、守られ、育てていただいた私の人生でした。
呉服屋の四代目という職を継ぐべき身でありながら、色んな仕事に携わらせていただき、
妻に言わせれば貴方は好きなことをやり満足でしょう・・・。と
その好き勝手にやらせて頂いた背景には父、母、妻をはじめ家族の温かい理解と支援なしには
何もなし得なかったのが事実だろう。
その過程では困った存在であり、多分に皆様に迷惑をかけていたことを痛感しています。
高山の町はとても良い町です。何処を旅行しても帰ってくるとこの町の生まれ、
この町で一生を終えることを有り難く思いました。
今まで好き勝手な人生を送らせていただき本当に有難うございました。
皆様のご厚情に感謝、御礼申し上げ私どもの家族にも同様の御支援賜わりますようお願い申し上げます。